header_title

home > diary

top_off prof_off sche unit_off disc_off diary_off mail_off
disc


自分のことばのプロフィール

はちやまき maki hachiya 蜂谷真紀

6月6日生まれ、双子座、B型
vocalist, voice-performer, pianist, composer, composition and lyrics

妄想と現実、カオスと静寂、宇宙と蟻んこを愛す両極端人間。
歌の師匠はオカメインコ

偶然、奇遇、邂逅、必然、愛、今。

d0244370_165333.jpg

幼稚園の親友イクちゃんに
「一緒にピアノ習わないとお友達にしてあげない! 」と脅され

ワタシは不純な動機でピアノを始めた。

なのに夢中になった。
好きな曲はバカみたいに練習するのに、好きでないと練習しない。
そのくせ思う様に弾けないと、ベランダの手すりにしがみついて悔し泣き。
ああ、頑固な子供って、可愛くない。

「どうせ続かないだろう」
はじめ両親が買ったのは、黒鍵がペンキで塗ってあるだけの卓上ピアノ。
半音を使うようになり、卓上ピアノは「電気オルガン」に昇格。

そして、小2のとき。。。。
社宅の四階に、ついにアップライトピアノが運び込まれた!
屋上から滑車で引き上げつつ、2人の職人がピアノを背負い、
息をあわせ、アパートの外壁づたいに運び上げる。
彼らはカッコイイ音楽戦士だった。
あの日の真っ赤な夕焼けと、最初の一音は一生わすれまい!

とかいって、小4。
エレクトーンにも憧れる。特にフットペダル(BASS)に憧れる。
エレクトーンを持っている友人の家に入り浸り、しつこく粘る日々。
自宅に帰れば、フットペダルを「でっかい紙に書いて」ピアノの左下においた。
妄想ベース、妄想ビートだ。

母親が映画ファンだったので一緒によく映画をみた。
映画に夢中になるうち「映画音楽」にも魅せられた。
恋したメロを思い出しては、ピアノで弾こうとしたが、
サビが思い出せないと、ベランダで悔し泣きをした。

初めて曲を書いたのは小三。いまも実家に譜面がある。
「ブラックムーン」「スロットマシーン」「天使の祈り」「ぶんちょこりん」
ああ、なんて恥ずかしいタイトルなんでしょう!
洋楽のコード感やビートに魅せられていたけれど、
コードを知らなかったので、右手左手(メロと伴奏)音符で書いてある。

小学高学年~中学。
海外の音楽に夢中。エアチェックオタクとなる。
机の上はカセット山脈。FM誌は赤線たらけ。
FEN、ロック、ソウル、JAZZ、フュージョン、中南米音楽、、、、
クラシック、映画音楽、タンゴ、カンツォーネ、、、
ジャンル関係なく好きな音が宝物となる。

とくに、ラジオの「短波音」に魅せられた。
ノイズ....微かに聞こえる声や音。
ミステリアスだった。。。外国に行ってみたいと思った。
父が誕生日に買ってくれた「ソニーのラジカセ」
それは、私の宇宙だった。

母は、台所で毎日のようにシャンソンを歌っていたが、
あまり好きな感じではなかった。
特に、キュウリを刻みながら・・・
私の好物のエビフライを揚げながら・・・
低く響く声で「暗い日曜日」を歌う母は、すごく怖かった!!
お母さんそれやめて!と泣いた。

一方、母がかけるレコードは、ちがった感じだった。
グレコやイヴモンタンもかけていたと思うけれど、ほとんどは、
陽気なラテンや(多分いろんな中南米音楽)
サックス(多分いろんなJazz)をかけていた。
父は大酒呑みらしからぬ好み?とゆうか・・・ご機嫌に酔うと、
「からたちの花」「ペチカ」など美しい童謡ばかり歌った。

また父の転勤で引っ越した。ピアノの先生も変わった。
そこで運命的な先生と出会う。指揮者でもある井伊宏さん。
先生は長髪の情熱家。音楽に取り憑かれたような方だ。

先生は、ワタシがピアノを弾く間、
「この曲は踊りだ。嗚呼!ワルツだ回転だ!」と・・・
長髪を振り乱しクルクル躍られた。
まるで亡霊と踊っているかのように。

また「この曲は愛だ!エクスタシーだ!」と・・・
拳を高く握りしめ、感極まった表情で唱和された。
たいてい拳はスポットライトの下で握られ、
先生の長髪は顔全面を覆っていた。

また「あ、この曲にはアレだな…」と・・・
どこからか、黄色いカナリアのオルゴールを持ってきて、
キリキリ巻いたかと思えば、Gピアノの上にトン!と置き、
「さあ!」なんて・・・
「くるくる回って歌うカナリア」と私のピアノのコラボに恍惚とされた。

・・・全く油断のならない先生であった。

レッスン後、先生はいつも、
凄いオーディオで、レコードを沢山聴かせて下さった。
手にはいつもレコードジャケットを持たされた。

先生は照明にもこだわった。
演奏時は、Gピアノにピンスポット。
レコード鑑賞時は私の膝の上の「レコードジャケット」と、
壁にかかった「ブラームスのデスマスク」にピンスポット。
レッスン室には大作曲家逹のデスマスクがズラリと並んでおり、

いまおもえば、
偉大なるデスマスク達にかこまれた「赤絨毯の間」で、
私は初めて遠いヨーロッパの気配を感じたかもしれない。

先生は譜面をドイツから輸入して下さった。
一般的な子供用教則本は一切使わなかった。
バッハ、シューマン、バルトーク、ドビュッシー、カバレフスキー・・・
子供の頃から接することが出来た。
今にしてお会いしたい方だ!

一方、学校の音楽は好きになれなかった。
選べない課題曲。。。笛のテスト、歌のテスト、
何が「よくできました」なのか、今も解らないままだ。

だから、美術のほうが好きだった。絵は自由に描けるから。
描き始めると夢中になってしまった。小学校3、4年のころ、
美術が終わり国語の時間になっても、よく私は絵を描きつづけていた。
そんな私を、担任の鈴木敏子先生は自由にさせて下さった。

でもある日、クラスの女子が手をあげ、怪訝そうな声でこう言った。
「先生〜、まきちゃんは国語なのに絵をかいてて、いいんですか~?」

女子の冷ややかな視線が刺さった。クラス全員が私をジーっと見た。

。。。恥ずかしかった。

教室の光の様子まで鮮明に覚えている。
その時はじめて、自分に社会性がないことを認識したと思う。

鈴木先生は、ちょっと考えた後。。。
こうおっしゃった。

「まきちゃんは絵を描くことが大すきなの。
 決まった時間では描ききれない事が沢山あるの。」


今にして思えば、
鈴木先生の「お言葉」は、宝物だったのだ!
鈴木敏子先生、お元気だろうか?


高校。
バンド活動をはじめる。ロック全般。
ハードロック、ブリティッシュ、デスメタルまでやっていた。
そのころは鍵盤。まだ歌っていなかった。
ツッパリ番長が絶叫ボーカリストたったり、
リハからエレキギターを歯で弾いてるよなバンドもあって、
嗚呼。彼らはいまどうしているのだろうか?

大学。
バンド活動に夢中。オリジナル、ロック、ソウル、フュージョン、色んなバンド。
まだ鍵盤。シンセやピアノ。まだ歌っていなかった。

学生時代は音楽しか記憶がないほど音楽三昧。
ひたすら楽しかった。バカもやった。

でも私は意外に冷静だった。
無意識に、もっと体に近い何かを求めていたのかも知れない。
学生を終え家にお金を入れるべく社会人となるが、違和感を覚える。

音楽と絵、自分はどっちなんだ?

このとき初めて、抑えきれぬ自分の根っこに悶絶した。
気づくと、音楽とデッサンを並行させて学んでいた。
仕事と音楽、絵…寝る時間も惜しかった。
そんな自問自答の日々が続いたが、キツイとは思わなかった。

。。。天秤は音楽に傾く。

「突然」歌に目覚めた。

運命的だった。とにかく気持ちよかった。
毎日、仕事帰りに安スタジオを借り、終電まで時を忘れて歌った。
いつしかJAZZに出会い、さらにハマった。
仕事の昼休みを15分でおえ、電車に乗り日比谷図書館につっぱしる日々。
LPを片っ端から借りまくり、帰宅してはカセットに録音し、
通勤時にバッカみたいに聴いては、バッカみたいにシビれていた。

歌っていれば幸せだった。気持よかった。
歌い手としては遅いスタートであったが、
ついに歌う時間欲しさに仕事をやめ、バイトに切り替えた。

バイト代をためてはNY友人の家にころがりこんだ。
ライヴ、演劇、美術、街、ニンゲン....
混沌とした時代のΝYは危険かつ魅力的だった。
深夜までイレギュラーしてゆく音、人の熱。
特にミュージシャンのライブ後の表情は魅力的だった。
全てが強烈なインスピレーションだった。
音楽は勿論、人の全てが愛おしく思えた。

自分のネジを全てはずして解体したかったのだろうな。

その後、曲をどんどこ書きはじめた。そして、
ついに「歌」でライヴをはじめる。よいバンド仲間もみつけた。
そのころは出演できる店が少なかったので
「営業な夜店」であれ実験会場とした。
でも、相当場違いな音楽であったから、
イワユル...女性ジャズボーカルを期待する店は、予想通りどんどん出禁になった。
実は、内心「してやったり!」と思っていた。

ある日、某プログレ喫茶に立ち寄った際
「ここでライヴできませんか?」なんて、
イキナリ話をもちかけ、全て機材を持ち込んで、この店の第一回ライヴを行った。
今にして思えば、店主の目黒さん、なんて寛大だったんだろう。
そのプログレ喫茶は。。。その後、
自由な音楽、若きミュジシャンにとって大切なライヴハウスとなる→ flying teapot

そのころ、
我流だったJAZZピアノを元岡一英氏の元でやり直した。
ライブさながらの稽古であった。
真摯に音楽を愛する人の横顔を見て音の愛を頂いた。
実は思うところあって、ピアノでやることを声でもやっていた。
そんな頃、加藤崇之さん、古澤良治郎さんからライヴやバンドに誘われる。
プロのミュージシャンってなんて濃いんだろ!と必死であった。
でも、後になって、お二人がスペシャルに個性的な奏者だと体感。
そんなこんなで、必然的にボイスを使うようになる。
自由に傾向していくほどに、曲への愛も深まった。
実はなにも解ってないとゆうか、
音楽の気持ち良さを求めていた。
気づいたら、今になっていた。。。。

気づいたら、沢山の素晴らしい仲間に恵まれていた。
勝手ながら、家族の様に感じている奏者も....多い。
残念ながら、この世を去ってしまった奏者も…少なくない。

でも、自分は今日も歌っている。

ライブを共にした奏者は常に生きている。

まだ、旅は続いているようです。
行き先なんて解りたくありませんが、
一生、思春期でいたいものです。




<歌、うた、ウタ、UTA>
「声、コエ、KOE、こえ」ノーマイク、エフェクター、
PIANO弾き語り、 大所帯、声だけのSOLO...
即興、オリジナル、JAZZ、共演者の曲、いろんな曲、コラボ、静寂、爆音...
どれもワタシです


<オリジナル曲を書くこと>
ワタシの大切なライフワーク。日本語の曲、造語の曲。歌詞のない曲、
オリジナル曲の社会進出は
「大原美術館70周年:絵画のための音楽会」への組曲作曲。
映画「テトラポットリポート(富永昌敬監督)」、TV番組など。


CDたち

リーダーCD

【ミクロマクロ】
蜂谷真紀(voice.vocal.pn)加藤崇之gt)
【木の声】蜂谷真紀(vo)是安則克bass
【たからもの】蜂谷真紀(vo.compose)田中信正pn, 喜多直毅vln

海外ユニットとのCD

【メビウスの鳥】
Hugues Vincent(cello.electricello)蜂谷真紀(voice,electricvoice)フランス録音

【PORAT CHIUSA】2016/8/22リリース
Paed Conca(cl)Hans Koch(cl)Michel Thieke(cl) )蜂谷真紀(voice)スイス録音

近々リリースCD

2016、9月リリース
【四柱推命】Hugues Vincent(cello)、横山佑太tp、蜂谷真紀voice、小山彰太(drums)

【Duo(仮題)】commig soon!
村田直哉(turntable)&蜂谷真紀(voice.electricvoice)


〈その他の活動〉
三池崇史監督の 8作品(音楽:遠藤浩二)をはじめ(「牛頭」エンドテーマなど)
映画、V-シネ、TVドラマ、ラジオ番組等、多数歌わせて頂きました。
映画「八日目の蝉」(成島出監督)では不思議な唄うたいレビとして出演。


<余談>
「どんな音楽聞いてきたの?」とよく聞かれるのですが、
それは今までに「おっ」と感じた全ての音です。
音だけでなく、自然、出会った人々・・・
これを読んでいる貴方も音になっているかもしれませんよ。


official profile
discography

maki hachiya
蜂谷真紀
はちやまき



















[PR]
トラックバックURL : http://hookchew02.exblog.jp/tb/14303512
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
by hachiyamaki_diary | 2011-05-08 16:03 | 私的プロフィール | Trackback

簡単な髭の作り方


by 蜂谷真紀 / Maki Hachiya