9/11・カナダ山小屋の8人
2005年 10月 09日
バンクーバーからカルガリーまでロッキー山脈を越える旅。
見知らぬ町の安モテル、山のロッジに泊まりながら、
物は何もいらない。でも旅だけはしたい。
知らない場所で初めて出会う人たち。
「じゃあ、また会おう。良い旅を!」こう言って別れるたび、
しかし・・・この旅で、
日本を出たのが9月8日
テロリストが計画遂行をカウントダウンしてるなんて、考えもしなかった。
カーラジオすら入らない山奥で、信じ難い話しを耳にしたのが9月11日夕方。
テレビも何も無い山小屋でのことだった。
オランダ人、イギリス人の旅人から断片的な情報を聞き、耳を疑った。声を失った。
いくら聞いても現実とは思えなかった。
宿に到着するなりバタバタと駆け込み、
2人は苛立ちを隠さなかった。
宿主はどこか離れた所に住んでいるらしい。妙に静かだ。
夕食後、全員がなんとなく居間に残っている。
一見して民宿での普通の光景だ。
おのずと8人の輪は少しづつ縮まっていった。
心の底の共通した渦が、私達を一所に集めていった。
「一体何が起きたんだ?」始めはこんな感じだった。
断片的な情報が、少しづつ全体像を作り始めた。
真剣な眼差しの奥に、一人一人の性格が手に取るように伝わる。
こんな時、人は色々推測して、
みな感情を多くは語らなかった。
そもそも現実すら理解しがたいのだ。
いや、世界全体がそうだったかも知れない。
脳みそがフリーズした感じがした。
時々、我々は静まりかえった。
緊張感の高い静寂だった。すごく辛かった。
しばらくすると
「我々が案じようと今はどうにもならない」という静かな観念につつまれた。
一時間もの間、私は皆の目を穴があくほど見つめていたようだ。
北方の8時はまだ明るい。
カナダの最高峰、マウント・ロブソン(3954m)が闇に姿を消そうとしていた。
人を寄せ付けない堂々とした氷河の山だ。
濃紺の巨大なシルエットが、今も頭に焼き付いている。
「折角の休暇を楽しみましょう。」と英国人女性が切り出した。
彼女の夫は「我々はウエールズ人」と語った。
「最近、ホームレスを雇用する仕事を始めたんだ。
「本当はエンジニアになりたかったんだけどね!」陽気な夫婦だった。
「あ...ちょっと待ってて。」と彼が中座した。
2階の客室でミシミシと足音が移動している。何か探し物をしている様だ。
恰幅の良い彼が何処を歩き回ってるのか丸解りだ。(丸太小屋だからね...)
奥さんが「何やってんのかしら?」と吹きだす。
皆初めて笑った。一瞬、普通の旅人の顔になった。
ほどなくして彼が照れ臭そうに降りてきた。手にした物はお酒。
「カナディアンクラブ」だった。
今宵は「ちびっとやろうじゃないか」という訳だ。
秘蔵の酒が、大き過ぎる程のグラスに少しづつふるまわれた。
こうして私達は忘れ難い日の忘れ難い出会いをわかち合った。
深夜まで語り合い、皆で食器を洗った。
国籍の違いをいつしか忘れた。
翌朝、ロブソン山に別れを告げ、
マウント・エディスキャベルに向かう。
トレイルを登ると、徐々に巨大な「氷河の天使」が姿を現した。
「サモトラケのニケ」の故郷はここだったんだ....と思った。
氷河期には分厚い氷に閉じこめられていたであろう「天使」
気の遠くなる様な時間が作り出した巨大な氷像。
また次の氷河期には長い眠りにつくのでしょう。
静けさの中、時々稲妻の様な地響きが轟く。
氷河がいまも刻々と移動している証拠だ。
崩落した氷の固まりから落ちるしずくは、
でも私は確かにここに存在している。
時の感覚が麻痺しそうだった。
地球時間の中で、人の一生なんて見えないほどの点にすぎない。
だからこそ存在の意味を証明しようとするのかもしれない。
私だってそうだろう。しかし、そこには矛盾も生じやすい。
いかなるものも、時を所有する事など出来ないのに、
何故ひずみを生んでまでこんなに急ぐんだろう。
人間は随分愚かなことを繰り返すではないか。
翌日、また別の氷河に足を運ぶ。
いくつかの氷河から溶け出した水が集まり、川を作っていた。
水は乳白色をしている。
川、荒々しい岩々、険しい山の頂、氷河、真っ青な空、冷たい風。
そこは私を受け入れてくれるに十分な懐だった。
氷河が運んだキズだらけの大きな岩にもたれ掛かった。
申し分なかった。
何て温もりのある岩なんだろう。
岩の深いキズに指を這わせてみた。
なんだかとても眠くなった。
maki hachiya
蜂谷真紀