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9/11・カナダ山小屋の8人

あの年の9月、私はカナダを旅していた。
バンクーバーからカルガリーまでロッキー山脈を越える旅。
見知らぬ町の安モテル、山のロッジに泊まりながら、
大氷河地帯を越えていく。
物は何もいらない。でも旅だけはしたい。

知らない場所で初めて出会う人たち。
「じゃあ、また会おう。良い旅を!」こう言って別れるたび、
もう二度と遇えないんだろうなあ....なんて思う。
そんな感覚が好きだ。


しかし・・・この旅で、
信じられない大事件に遭遇してしまった。

日本を出たのが9月8日
テロリストが計画遂行をカウントダウンしてるなんて、考えもしなかった。

カーラジオすら入らない山奥で、信じ難い話しを耳にしたのが9月11日夕方。
テレビも何も無い山小屋でのことだった。
オランダ人、イギリス人の旅人から断片的な情報を聞き、耳を疑った。声を失った。
いくら聞いても現実とは思えなかった。

宿に到着するなりバタバタと駆け込み、
山小屋の古いラジオにスイッチを入れようとする男女。
その古めかしいラジオは、結局何の用もなさなかった。
2人は苛立ちを隠さなかった。
ラジオを何度も、バンバン叩いた。
2人はニューヨークから休暇で来た学者夫婦だと語った。
ただならぬ事が起きたんだ、と悟った。

氷河の懐の山小屋に、オランダ人、イギリス人、アメリカ人、日本人。計8人。
宿主はどこか離れた所に住んでいるらしい。妙に静かだ。
それぞれ国籍の違う8人は、
全く情報のシャットアウトされたカナダの山奥で、
忘れられない一夜を過ごすこととなった。

夕食後、全員がなんとなく居間に残っている。
一見して民宿での普通の光景だ。
普段なら、せいぜい旅の情報交換をしたり、
軽い自己紹介をして出会いを楽しむ場所だ。

でもその晩は何かが違っていた。
皆平静を装っている様子だったが、
お互いに、特別な触手をのばしているのが感じ取れた。

恐らく8人全員が、
世界を震撼させる大事件を前に、何も情報が入らない・・・という、
「異様な状況」を初めて味わったに違いない。
おのずと8人の輪は少しづつ縮まっていった。
心の底の共通した渦が、私達を一所に集めていった。

「一体何が起きたんだ?」始めはこんな感じだった。
断片的な情報が、少しづつ全体像を作り始めた。
真剣な眼差しの奥に、一人一人の性格が手に取るように伝わる。
こんな時、人は色々推測して、
不必要な恐怖や見当違いの憎悪を生みだしてしまうこともあるが、
この夜の8人は違っていた。
みな感情を多くは語らなかった。
そもそも現実すら理解しがたいのだ。
いや、世界全体がそうだったかも知れない。

脳みそがフリーズした感じがした。
時々、我々は静まりかえった。
緊張感の高い静寂だった。すごく辛かった。

しばらくすると
「我々が案じようと今はどうにもならない」という静かな観念につつまれた。
一時間もの間、私は皆の目を穴があくほど見つめていたようだ。
ふと窓に目をやると 先ほどまでのぶ厚い雲が晴れている。
北方の8時はまだ明るい。

「ロブソン山が見えてきましたよ」と促すと、皆ゆっくりと窓に目をやった。
カナダの最高峰、マウント・ロブソン(3954m)が闇に姿を消そうとしていた。
人を寄せ付けない堂々とした氷河の山だ。
濃紺の巨大なシルエットが、今も頭に焼き付いている。
地球は何があっても静かに回るんだ....と思った。

「折角の休暇を楽しみましょう。」と英国人女性が切り出した。
彼女の夫は「我々はウエールズ人」と語った。
「最近、ホームレスを雇用する仕事を始めたんだ。
「本当はエンジニアになりたかったんだけどね!」陽気な夫婦だった。
「あ...ちょっと待ってて。」と彼が中座した。

2階の客室でミシミシと足音が移動している。何か探し物をしている様だ。
恰幅の良い彼が何処を歩き回ってるのか丸解りだ。(丸太小屋だからね...)
奥さんが「何やってんのかしら?」と吹きだす。
皆初めて笑った。一瞬、普通の旅人の顔になった。

ほどなくして彼が照れ臭そうに降りてきた。手にした物はお酒。
「カナディアンクラブ」だった。 
今宵は「ちびっとやろうじゃないか」という訳だ。
秘蔵の酒が、大き過ぎる程のグラスに少しづつふるまわれた。
こうして私達は忘れ難い日の忘れ難い出会いをわかち合った。
深夜まで語り合い、皆で食器を洗った。
国籍の違いをいつしか忘れた。


翌朝、ロブソン山に別れを告げ、
ロッキー山脈の氷河帯で比較的訪れる人の少ない
マウント・エディスキャベルに向かう。
トレイルを登ると、徐々に巨大な「氷河の天使」が姿を現した。
「サモトラケのニケ」の故郷はここだったんだ....と思った。

氷河期には分厚い氷に閉じこめられていたであろう「天使」
気の遠くなる様な時間が作り出した巨大な氷像。
また次の氷河期には長い眠りにつくのでしょう。
 
静けさの中、時々稲妻の様な地響きが轟く。
氷河がいまも刻々と移動している証拠だ。
崩落した氷の固まりから落ちるしずくは、
何万年も前から続く心臓の鼓動みたいだ。

滑らかな氷河のかけらを口に含むと、一瞬にして自分が小さな点になった。
でも私は確かにここに存在している。
時の感覚が麻痺しそうだった。
昨日の大事件が、なおさらむなしく感じられた。 

 
地球時間の中で、人の一生なんて見えないほどの点にすぎない。
だからこそ存在の意味を証明しようとするのかもしれない。
私だってそうだろう。しかし、そこには矛盾も生じやすい。
いかなるものも、時を所有する事など出来ないのに、
何故ひずみを生んでまでこんなに急ぐんだろう。
人間は随分愚かなことを繰り返すではないか。


翌日、また別の氷河に足を運ぶ。
いくつかの氷河から溶け出した水が集まり、川を作っていた。
水は乳白色をしている。

昨日から、私は土の上にねっ転がりたい気分で一杯だった。
川、荒々しい岩々、険しい山の頂、氷河、真っ青な空、冷たい風。
そこは私を受け入れてくれるに十分な懐だった。

氷河が運んだキズだらけの大きな岩にもたれ掛かった。
申し分なかった。

何て温もりのある岩なんだろう。
岩の深いキズに指を這わせてみた。

なんだかとても眠くなった。





maki hachiya
蜂谷真紀
はちやまき






























by hachiyamaki_diary | 2005-10-09 00:00 | 福中文庫(作文)

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