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まきばあさんのいえ

「80才過ぎの自分が一人で暮らす変な夢」を見ました。

その人は確かに自分ですが、顔は知らないお婆さんでした。
珍しく子供が大勢出てくる夢でしたので、夢の記憶を素に物語を書いてみました。

‥‥‥ 題して「まきばあさんのいえ」‥‥‥



年老いた私の住まいは木造平屋建ての一軒家。
オンボロで小さいけれど、日当たりは良く、心ばかりの庭もありました。
部屋は広い縁側付きの8畳間が、並んで2つ。
「真紀婆さん」は間仕切りを取り外しておりましたので、それらは広い一間に見えました。二間の境にはアヤメの型があしらわれた、ささやかな欄間があり、北側奥には3畳程の質素な台所もありました。

玄関近くの八畳間には赤系の古めかしい絨毯。
その上に、年季の入ったグランドピアノと、大人5人は座れる、茶色い皮張りの懐かしげなソファ。
座るとゴワゴワと大袈裟な音がしました。
前の住人の手により、本棚が壁いっぱいに天井まで作り付けられておりましたが、小さな床の間だけは、ボツリと残してありました。
大きな本棚には、婆さんお気に入りの図鑑や画集、本がほどよく並んでいました。

ポカポカと日当たりのよい縁側には、でっかい望遠鏡、双眼鏡、絵の具で汚れたイーゼルが置かれ、
その右脇の棚の中段には金魚がのんびり泳ぐ、ぬるそうな水槽がありました。
ガラスには緑の苔が生え、ポコポコとエアポンプの音が聞こえておりました。
庭の木々は雑然とするも勢い良く、雑草も生え放題でしたので、餌台にやって来る小鳥達の良い隠れ場所になっていました。

もう一つの八畳間は畳のまま広くしていましたが、唯一、木製の丸い大きな作業机と椅子が3つ置いてありました。
卓上は、絵の具やペンキで随分汚れていましたが、手を伸ばせはすぐ届く所に、スケッチブック、絵の具、水彩、岩屑、筆、ペン、鉛筆、消しゴム、木炭、木炭紙、五線紙、写譜ペン、粘土、ハサミ、カッター、のり・・・何でも揃っていました。

その家は小学校の脇にありまして、ワイワイ騒ぐ子供達の声のお陰で、ピアノをうるさいと言われない・・・という利点がありました。
窓を開けて鳥の声を聞きながらピアノを弾くことも出来ました。
でも、私がその場所を選んだにはもっと大きな理由がありました。

ある日、老婆の私は、学校帰りの4年生くらいの男子3人にこう訪ねました。
「ここに、『まきばあさんのいえ』という表札をつくりたいのですが、手伝ってくれますか?」 

一瞬、3人はポカンとして全く同じ顔になりましたが、一人がどこかから大きな木の板を見つけて来ると、何となくイイカゲンに作業が始まりました。
3人は「まきばあさんのいえ」と5色のペンキで書き、余ったところに好きな絵を描き、段々と得意そうな顔になって行きました。
ただ、始めに大きく字を書きすぎたので、極端に「尻つぼみの看板」となりました。でも、婆さんはそのトボケタ看板がたいそう気に入りました。

次の日、今度は別の子供たちにお願いして塀に絵を描いてもらいました。
まき婆さんも一緒に書きました。そして玄関の扉に「大きな黄色い鳥が、廊下の向こうの庭に向かって飛んで行く絵」を皆と描きました。
まるで扉が開いてるみたいに見える騙し絵の完成です。
それもすごく気に入りました。
扉を開けると本物の庭が見えるなんて素敵ですもの。

そして、手伝ってくれた子供らに「ここはね、自由に出入りしていいんだよ。」と言うと、皆一様にキョトンとしました。

私はあえて個人名の表札をかけませんでした。
いつも鍵はあけておいて、出入り自由の家にしようと思ったのです。
老人ホームでなく、人が集まってくる「老人のいえ」の始まりです。
私は例の小さな床の間に、手製の掛け軸をかけました。

「すきなことをしてください。おばあさんもすきなことをしています。
かたづけてかえってください。ありがとう。」

ひらがなばかりの変な掛け軸でした。
真紀婆さんも、始めに字を大きく書きすぎて、かたづけて...から後はすっかり尻すぼみになっていました。

数週間後のこと、婆さんのピアノの音に誘われてか、3人の女子が恐る恐る入ってきました。塀に絵を描いてくれた三年生でした。初めての訪問者です。
私は「何をしててもいいよ」とだけ言い、そのままピアノを弾いていました。
3人は緊張した面持ちでソファに大人しく座っていましたが、そのうち金魚の水槽を覗いたり、机の上の絵筆をいじったり・・・

私がピアノを離れると、女の子達はグランドピアノの周りに何となく集まり、一本指でちょっと弾いてはクスクス笑い、小さな声で話したりしていました。
「何をしててもいいよ!」私はもう一度台所から大声で言いました。
彼女達は、お婆さんの大声にびっくりした様でしたが、結局ピアノで好きに遊んで、楽しげに帰りました。女の子の方が勇気があったみたいです。

男の子2人が来たのは、その数日後でした。
それも先日の女の子たちに連れられて、恐る恐る。
その時私は、イーゼルに向かって腕を上下左右にブンブン振り回し、メチャクチャな絵を描いていました。
絵の具が天井や壁に飛び散っていました。
子供たちは、みな口を開けて見ていました。
絵の具が飛び散るたびに、沢山の目が天井や壁にいっせいに移動するのがとても可笑しかったので、もっともっとブンブンと描きました。

「何の絵ですか?」と、勇気のある女子に聞かれたので「何の絵でもないよ」と答えると、また皆黙りこくってしまいました。

でもしばらくするとどうしたことでしょう、皆、画用紙に鉛筆やクレヨンで何やら描いたのを、見せあっては大笑い。
見せあっては大笑い...その繰り返しを始めました。
何が可笑しいのか、婆さんには全然わかりませんでしたけどね。
しまいには「ラジオ体操?!チャンチャカチャ~ン...体操画家なのだ~」
...なんて、おちゃらけて描く男子もおり、それが女の子達に大受けで、彼は相当ご機嫌の様でした。
そしてしまいには疲れて飽きた様でした。

私は「もう片づけて、自分の絵はもってお帰り」とだけ言いました。5人はちょっと妙な顔をしましたが、大人しく自分が描いた変な絵を持って帰りました。
  
黄色い鳥のドアがバタンと閉まる音を聞いた後、私はケラケラと笑いました。 

「ここにさあ、でっかい望遠鏡あるんだせ!」

・・・なんて、たいそう偉そうに言いながら、黄色い鳥の扉をドカン!と開け入ってきたのは、昨日の「体操画家君:三年生」でした。
今日は体の大きい無口な男子と一緒です。
マンガみたいな2人は、そそくさと縁側の望遠鏡に向かいました。
その日のまきばあさんは「絶滅ほ乳類図鑑」に夢中だったので、「太陽は見ちゃダメだよお...」と低い声で愛想なく言いました。
使い方は自分たちで解った様ですが、住宅地のしょうむない物を見ては、ふざけている様でした。
夕方2人が帰る時「今度は夜に空を見てごらん」と婆さんは言いました。

・・・ってな感じで、まきばあさんは自分は好きなことをしている。
誰が来ても良いが、世話はしない。
何か聞かれたら教えてあげるが、聞かれなければ黙っている。
ゲーム、テレビ、お菓子は無し。
喧嘩はさせておく。

・・・・こんな適当さで数ヶ月。
それが心地よいのか、毎日放課後には常時10人くらいの子供が入れ替わり立ち替わり好きにして帰る、婆さん望み通りの「変な家」となりました。
だだ、畳の間はしょっちゅう男子のリングとなったので、すっかりボロボロになりましたけど。

初夏。中学生が来るようになりました。
来るのは主に女子で、男子はたまにです。
達者なピアノを自慢気に披露してく女子、美術の宿題を黙々とやる男子、
数学のテストがボロボロだったと話す子、クラスの男子の話題で盛り上がる女の子たち。部活帰りに大人数でパンを食べて帰る女子中学生なんかもいて、いつしか色んな歳の子でゴシャゴシャになりました。

「まきばあさんのいえ」をうさん臭がる親もいましたし、託児所代わりにしたり、無料のピアノ教室代わりにする親もおりました。
でも本人がここにいたいなら、いいのです。
親の迎えが必要な小さな子も来るようになりましたので、大人も随分出入りする様になりました。
時々おかずをおすそ分けしてくれる気のいいお母さんもおり、とても有り難かったですが、皆子供を連れて帰るだけで、自分の好きなことをして帰る大人は、なかなか現れませんでした。

夏休みのすぐ後のこと、学校の授業を抜け出し、ここで虫図鑑ばっかり見てる小学4年生の男子が現れました。
授業中なのでいつも彼一人です。そして放課後に皆がドヤドヤと現れる前に、スッと帰ってしまうのです。
よく庭にしゃがみこんでは熱心に虫を探していて、全身が草に埋もれて見えない事すらありました。
彼が描く色とりどりの虫の絵は、どれも生き生きして素晴らしいものでした。
あまりにも熱心なので、まき婆さんは彼専用のノートを一冊あげました。

でもある日、担任の先生と彼のお母さんが目くじらを立てて連れ去りました。
これもしかたがありません。
大切にしていた「ノート」を置き忘れたまま、男の子はパッタリと来なくなりました。虫の絵は、とうとう置いたままになってしまいました。

毎日、夜10時ごろ塾の帰りに立ちより、遅くまで家に帰らない女子中学生が現れました。彼女は、私がピアノを弾いてる脇で、いつも眠っていました。
例のゴワゴワ音のする、でっかい茶色い革のソファーで、真紀婆さんからは、顔が見えない様にして眠っていました。
でも、寝てると思ったら起きていて、曲が終わると「その曲ってなに?」と、突然大きな声で短い質問することがありました。
いつも無表情のままで、けして目を合わせない子供でした。
曲名しか答えたことはありませんでしたが、婆さんはこの不思議な少女が好きになりました。

しかし、ある晩.....
とても神経質そうな父母が現れ、彼女を連れて帰りました。
これもしかたありません。
両親は押さえた口調で、彼女に何やら色々言っていた様でしたが、2人とも小さい声で沢山話すので、何を言っているか解りませんでした。
彼女はいつものように表情ひとつ変えず、一言も話さず、去っていきました。
けれど、帰りしなに一回だけ、ほんのちょっとだけ、婆さんの目を見た様でした。

ある朝、突然、解体業者が現れ「まきばあさんのいえ」をあっという間に壊して行きました。壁や屋根が無くなったので、ピアノやソファ、机や本が置いてあるだけの草地となりました。
ところが外からよく見えるからか、立ち寄る子供は日に日に増えていき、まるで小学校の校庭の続きのようになりました。
小学生は廃材で秘密基地を作って、毎日大騒ぎしましたのでそれを見て運動の好きな子も多く来るようになり、今まで多く来ていた文芸の好きな子達と一緒になってよく遊びました。喧嘩も増えたし、前にもまして賑やかです。それはもううるさいほどでしたが、まきばあさんは「ああ、たのしいなあ」と思いました。

家が無くなって3日後の夕方、中学生の男子たちが、ピアノの上に簡単な青いビニルの屋根を作ってくれました。
これで少しの雨ならしのげます。
まきばあさんは「ありがとう」と言いました。

屋根作りの際、せっかく作った秘密基地の廃材を沢山奪われて小学生の男子達はしばらく不機嫌そうでしたが、一体どこから廃材を探してくるのか、いつの間にか秘密基地は復元されました。
まきばあさんも基地に招待されましたが、入り口が小さい上に、木材が危なっかしくグラグラして、腰が痛くてうまく入れませんでした。
まきばあさんは「ありがとう」と言いました。

ある日、急に大雨がやってきました。
あっという間に小学校の校庭は川の様です。
雷に驚き、大人も子供も逃げ惑っています。

ところがどうしたことか「まきばあさんのいえ」の上空だけぽっかり小さな青空がのぞき、大変によく晴れていました。
まるで天国の「のぞき穴」みたいでした。

うわわ~~~っと、沢山の子供、大人が走ってきました。
みんな雨宿りにやって来たのです。
あっという間にすごい人口密度、すごい騒ぎになりました。
先日目くじらを立てた先生も、びっしょびしょで苦笑い。
小さい子からお爺さん、おまけに犬猫、小鳥なんかも雨宿りに来ました。
みんなびしょ濡れ。
ガヤガヤ、ワイワイ大騒ぎ。
まるで都会に浮かぶ、楽しい島の様になりました。

まきばあさんは「なにをしてもいいよ」と言い、丸い青空の下でピアノをひき続けました。
 
おわり
by hachiyamaki_diary | 2011-04-10 21:05 | 福中文庫(作文)

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