6月6日生まれ、双子座、B型
妄想と現実、カオスと静寂、宇宙と蟻んこを愛す両極端人間。
なのに夢中になった。
好きな曲はバカみたいに練習するのに、好きでないと練習しない。
そのくせ思う様に弾けないと、ベランダの手すりにしがみついて悔し泣き。
ああ、頑固な子供って、可愛くない。
「どうせ続かないだろう」
はじめ両親が買ったのは、黒鍵がペンキで塗ってあるだけの卓上ピアノ。
半音を使うようになり、卓上ピアノは「電気オルガン」に昇格。
そして、小2のとき。。。。
社宅の四階に、ついにアップライトピアノが運び込まれた!
屋上から滑車で引き上げつつ、2人の職人がピアノを背負い、
息をあわせ、アパートの外壁づたいに運び上げる。
彼らはカッコイイ音楽戦士だった。
あの日の真っ赤な夕焼けと、最初の一音は一生わすれまい!
とかいって、小4。
エレクトーンにも憧れる。特にフットペダル(BASS)に憧れる。
エレクトーンを持っている友人の家に入り浸り、しつこく粘る日々。
自宅に帰れば、フットペダルを「でっかい紙に書いて」ピアノの左下においた。
妄想ベース、妄想ビートだ。
母親が映画ファンだったので一緒によく映画をみた。
映画に夢中になるうち「映画音楽」にも魅せられた。
恋したメロを思い出しては、ピアノで弾こうとしたが、
サビが思い出せないと、ベランダで悔し泣きをした。
初めて曲を書いたのは小三。いまも実家に譜面がある。
「ブラックムーン」「スロットマシーン」「天使の祈り」「ぶんちょこりん」
ああ、なんて恥ずかしいタイトルなんでしょう!
洋楽のコード感やビートに魅せられていたけれど、
コードを知らなかったので、右手左手(メロと伴奏)音符で書いてある。
小学高学年~中学。
海外の音楽に夢中。エアチェックオタクとなる。
机の上はカセット山脈。FM誌は赤線たらけ。
FEN、ロック、ソウル、JAZZ、フュージョン、中南米音楽、、、、
クラシック、映画音楽、タンゴ、カンツォーネ、、、
ジャンル関係なく好きな音が宝物となる。
とくに、ラジオの「短波音」に魅せられた。
ノイズ....微かに聞こえる声や音。
ミステリアスだった。。。外国に行ってみたいと思った。
父が誕生日に買ってくれた「ソニーのラジカセ」
それは、私の宇宙だった。
母は、台所で毎日のようにシャンソンを歌っていたが、
あまり好きな感じではなかった。
特に、キュウリを刻みながら・・・
私の好物のエビフライを揚げながら・・・
低く響く声で「暗い日曜日」を歌う母は、すごく怖かった!!
お母さんそれやめて!と泣いた。
一方、母がかけるレコードは、ちがった感じだった。
陽気なラテンや(多分いろんな中南米音楽)
サックス(多分いろんなJazz)をかけていた。
父は大酒呑みらしからぬ好み?とゆうか・・・ご機嫌に酔うと、
また父の転勤で引っ越した。ピアノの先生も変わった。
そこで運命的な先生と出会う。指揮者でもある井伊宏さん。
先生は長髪の情熱家。音楽に取り憑かれたような方だ。
先生は、ワタシがピアノを弾く間、
「この曲は踊りだ。嗚呼!ワルツだ回転だ!」と・・・
長髪を振り乱しクルクル躍られた。
まるで亡霊と踊っているかのように。
拳を高く握りしめ、感極まった表情で唱和された。
たいてい拳はスポットライトの下で握られ、
先生の長髪は顔全面を覆っていた。
また「あ、この曲にはアレだな…」と・・・
どこからか、黄色いカナリアのオルゴールを持ってきて、
キリキリ巻いたかと思えば、Gピアノの上にトン!と置き、
「さあ!」なんて・・・
「くるくる回って歌うカナリア」と私のピアノのコラボに恍惚とされた。
レッスン後、先生はいつも、
凄いオーディオで、レコードを沢山聴かせて下さった。
手にはいつもレコードジャケットを持たされた。
先生は照明にもこだわった。
演奏時は、Gピアノにピンスポット。
レコード鑑賞時は私の膝の上の「レコードジャケット」と、
レッスン室には大作曲家逹のデスマスクがズラリと並んでおり、
いまおもえば、
偉大なるデスマスク達にかこまれた「赤絨毯の間」で、
先生は譜面をドイツから輸入して下さった。
一般的な子供用教則本は一切使わなかった。
バッハ、シューマン、バルトーク、ドビュッシー、カバレフスキー・・・
子供の頃から接することが出来た。
今にしてお会いしたい方だ!
一方、学校の音楽は好きになれなかった。
選べない課題曲。。。笛のテスト、歌のテスト、
何が「よくできました」なのか、今も解らないままだ。
美術が終わり国語の時間になっても、よく私は絵を描きつづけていた。
そんな私を、担任の鈴木敏子先生は自由にさせて下さった。
でもある日、クラスの女子が手をあげ、怪訝そうな声でこう言った。
「先生〜、まきちゃんは国語なのに絵をかいてて、いいんですか~?」
。。。恥ずかしかった。
教室の光の様子まで鮮明に覚えている。
その時はじめて、自分に社会性がないことを認識したと思う。
鈴木先生は、ちょっと考えた後。。。
「まきちゃんは絵を描くことが大すきなの。
決まった時間では描ききれない事が沢山あるの。」
今にして思えば、
鈴木先生の「お言葉」は、宝物だったのだ!
鈴木敏子先生、お元気だろうか?
高校。
バンド活動をはじめる。ロック全般。
ハードロック、ブリティッシュ、デスメタルまでやっていた。
そのころは鍵盤。まだ歌っていなかった。
ツッパリ番長が絶叫ボーカリストたったり、
リハからエレキギターを歯で弾いてるよなバンドもあって、
大学。
バンド活動に夢中。オリジナル、ロック、ソウル、フュージョン、色んなバンド。
まだ鍵盤。シンセやピアノ。まだ歌っていなかった。
学生時代は音楽しか記憶がないほど音楽三昧。
ひたすら楽しかった。バカもやった。
でも私は意外に冷静だった。
無意識に、もっと体に近い何かを求めていたのかも知れない。
学生を終え家にお金を入れるべく社会人となるが、違和感を覚える。
音楽と絵、自分はどっちなんだ?
このとき初めて、抑えきれぬ自分の根っこに悶絶した。
気づくと、音楽とデッサンを並行させて学んでいた。
仕事と音楽、絵…寝る時間も惜しかった。
。。。天秤は音楽に傾く。
「突然」歌に目覚めた。
運命的だった。とにかく気持ちよかった。
毎日、仕事帰りに安スタジオを借り、終電まで時を忘れて歌った。
いつしかJAZZに出会い、さらにハマった。
ついに歌う時間欲しさに仕事をやめ、バイトに切り替えた。
バイト代をためてはNY友人の家にころがりこんだ。
ライヴ、演劇、美術、街、ニンゲン....
混沌とした時代のΝYは危険かつ魅力的だった。
深夜までイレギュラーしてゆく音、人の熱。
全てが強烈なインスピレーションだった。
音楽は勿論、人の全てが愛おしく思えた。
自分のネジを全てはずして解体したかったのだろうな。
その後、曲をどんどこ書きはじめた。そして、
ついに「歌」でライヴをはじめる。よいバンド仲間もみつけた。
そのころは出演できる店が少なかったので
でも、相当場違いな音楽であったから、
イワユル...女性ジャズボーカルを期待する店は、予想通りどんどん出禁になった。
実は、内心「してやったり!」と思っていた。
ある日、某プログレ喫茶に立ち寄った際
「ここでライヴできませんか?」なんて、
イキナリ話をもちかけ、全て機材を持ち込んで、この店の第一回ライヴを行った。
今にして思えば、店主の目黒さん、なんて寛大だったんだろう。
そのプログレ喫茶は。。。その後、
自由な音楽、若きミュジシャンにとって大切なライヴハウスとなる→ flying teapot
そのころ、
我流だったJAZZピアノを元岡一英氏の元でやり直した。
ライブさながらの稽古であった。
そんな頃、加藤崇之さん、古澤良治郎さんからライヴやバンドに誘われる。
プロのミュージシャンってなんて濃いんだろ!と必死であった。
でも、後になって、お二人がスペシャルに個性的な奏者だと体感。
そんなこんなで、必然的にボイスを使うようになる。
自由に傾向していくほどに、曲への愛も深まった。
実はなにも解ってないとゆうか、
音楽の気持ち良さを求めていた。
気づいたら、今になっていた。。。。
気づいたら、沢山の素晴らしい仲間に恵まれていた。
勝手ながら、家族の様に感じている奏者も....多い。
残念ながら、この世を去ってしまった奏者も…少なくない。
でも、自分は今日も歌っている。
ライブを共にした奏者は常に生きている。
まだ、旅は続いているようです。
行き先なんて解りたくありませんが、
一生、思春期でいたいものです。
<歌、うた、ウタ、UTA>
「声、コエ、KOE、こえ」ノーマイク、エフェクター、
PIANO弾き語り、 大所帯、声だけのSOLO...
即興、オリジナル、JAZZ、共演者の曲、いろんな曲、コラボ、静寂、爆音...
どれもワタシです
<オリジナル曲を書くこと>
ワタシの大切なライフワーク。日本語の曲、造語の曲。歌詞のない曲、
オリジナル曲の社会進出は
「大原美術館70周年:絵画のための音楽会」への組曲作曲。
映画「テトラポットリポート(富永昌敬監督)」、TV番組など。
〈その他の活動〉
三池崇史監督の 8作品(音楽:遠藤浩二)をはじめ(「牛頭」エンドテーマなど)
映画、V-シネ、TVドラマ、ラジオ番組等、多数歌わせて頂きました。
映画「八日目の蝉」(成島出監督)では不思議な唄うたいレビとして出演。
<余談>
「どんな音楽聞いてきたの?」とよく聞かれるのですが、
それは今までに「おっ」と感じた全ての音です。
音だけでなく、自然、出会った人々・・・
これを読んでいる貴方も音になっているかもしれませんよ。
「声」で空飛び「歌」で絵を描く双子座B型。
JAZZ、クラシック、ロック、現代音楽、短波、自然界の音...
体内に宿るあらゆる音に五感を注ぎ、国内外で様々なライヴやコラボ(舞踏、映像、文学、絵画)を重ねている。
オリジナル曲の起用は「大原美術館70周年:絵画のための音楽会」や富永昌敬監督の短編映画、TV番組など。
三池崇史監督の8作品「牛頭(GOZU)」ほか、映画やドラマへの歌録は多く、
映画「八日目の蝉」(成島出監督)では謎の唄うたいとして出演。
《自己分析》
妄想と現実、カオスと静寂、ミクロとマクロを愛す両極端人間。
偶然、奇遇、邂逅、必然、愛、今日と明日。
活動中のユニット【ミクロマクロ】【HANA●TORI】【次ナルJAZZ問答】【TOKYOディープ】
海外参加ユニット【PORTA CHIUSA/スイス】【メビウスの鳥/フランス】
【たからもの】(二枚組;CD1=倉敷大原美術館にて録音、CD2=東京ライヴ録音)
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■《メビウスの鳥》フランス録音
Hugues Vinsent(cello,ellectric-cello,objects)蜂谷真紀(voice,electric-voice,objects)
http://
【Duo(仮題)】村田直哉(turntable)&蜂谷真紀(voice.electricvoice)
------------最近の参加CD----------------
■《PORTA CHIUSA:because life should be so wonderful (l)》スイス録音
Paed Conca(clarinet), Hans Koch(clarinet), Michel Thieke(clrarinet),蜂谷真紀(voice)
http://
■【四柱推命】札幌録音
Hugues Vincent(cello),横山祐太trumpet,蜂谷真紀voice,小山彰太drums
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Miya(Flute),Benedict TAYLOR(Viola)蜂谷真紀(Voice),横川理彦(Violin/Comp)
吉田隆一(B.Sax)、坂口光央 (Key/Syn)ナスノミツル(e-Bass)
植村昌弘(Drums)寶玉義彦(Poetry & Reading)