森を旅する声
2017年 01月 02日

新年のごあいさつに、
「きらめく荒星」という曲についてふれましたが、
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「きらめく荒星」by 蜂谷真紀
きらめく あらぼし
声をだせば、鳥になって
ひとりの 夜には
いちばん やさしい
ひびきは 翼を
さらに遠く いざなう
もう帰ろう 帰ろう
あたたかい あしたへ
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《森を旅する声》
声って身体の中に楽器がある。
楽器を持ち歩かなくてもよいし、
いつでもどこでも声をだせる。
でも、そんな当たり前を不思議におもうことがある。
自分の生の声を、客観的にきくことが一生できないのも不思議だ。
わたしの声が、
空間を旅して、聴き手の耳を旅して、私のところに帰ってくる・・・
なぜか解らないけど、歌や声に「短い旅」を感じることがよくある。
だから「声の旅」は、星にだってすぐ行ける気がする!
でも現実には・・・
音には音速が存在し、届く距離にも限界があります。
星に向かって歌っても、星は私の声をきけません。
さて?、実際のところ、
声はどこまで飛んでゆけるのかなぁ?
数年前、アメリカの広大な森林をトレッキング中のこと。
急に視界がひらけて、景色のよい森に出た。
そこは人の気配どころか、
鳥や獣の声すら聞こえぬ不思議な森だった。
湖が干上がったあとなのか、ややすり鉢状になっている。
その森だけ、早い眠りにつこうとしているようでもあり、
風の音もない。ほぼ無音だ。
ふと、声を思いっきり出したくなった!
どんな残響が聞こえるかなあ?
こだまがかえってくるかなあ?
思いっきり声をだした!!!
するとどうでしょう・・・
声は、森にすいこまれでゆきました。
残響もなく、こだまも帰ってきません。
声は、すぽん・・・と、森に飲み込まれたのです!
え・・・なにこのかんじ?
もう一度、試した。
やはり、すぽん、と・・・飲み込まれました。
どこかに潜む、けものや鳥、虫たちに、私の声は届いたのでしょうか?
でも答えるものもありません。
森は無音のままです。
ある新鮮な感覚に、ハッとした。
自分の声を聴いたのは、私だけなのだ・・・
なんのタイムラグもなく、
リアルタイムで、体内の声を聴いたのだ・・・ と。
へいぜい、相棒(声)は
会場や空間の箱に反射して、音速の波にのって、
私の身体にかえってくる。
そのタイムラグが残響としてきこえ、場の空気感となってきこえる。
それぞれの空間でブーメランみたいに相棒(声)を無意識にうけとめている。
うけとめる感覚も、場によって違う。
でも反響が全くない森では、相棒は、自分をはなれ、
どこか遠くにいって、もどってこない。
一心同体の、自分と声が、
「はなればなれになっちゃう」感じがしたのだ。。。
「無音の森」で何度も声をだしてみて解ったことがある。
この森では、野鳥の声も吸い込まれていくのかもしれない。
PAを使えば、もっと実感しにくい。
広大な森、宇宙の中での声の旅は基本、独り旅なのだ。
でも、そこには、沢山の一人旅があって、
共演者あらば、さらに色んな旅ができる。
でも「相棒との独り旅」が全てのもとになっているんだなと・・・
「きらめく荒星」の短い歌詞には、
相棒(声)とわたしの感覚的な関係・・・
そんな思いが秘められています。











この「よき人」は、森と同化してるみたいな不思議な人で
「よき人」は、とても背が高く、驚くほど軽装で、
すごい早さで、音もなく森に消えていった。
(巨木の精だったのか?!)
はちやまき