レバノン映画を見に行った
2018年 09月 03日

「判決、ふたつの希望」
中東の人々が抱える心の痛みを深く考えさせられる優れた映画だった。
いつか書こうと思っていたことをこの機会に。
6年ほど前、現地ミュージシャンから演奏に呼んで頂き、70年代の内戦から復興をはたしつつあるベイルートに滞在した。滞在アパートの隣家の壁には機関銃の銃創。この家の人は助かっただろうか?、街を歩けば砲弾跡や銃創は街中いたるところに残っている。かたや、あちこちに高く立ち上がる工事用クレーンには復興を誓うレバノン国旗がはためき、激戦地となり破壊されつくした町の中心部は美しい町並みを取り戻し、数々の親子がなごやかに遊ぶ光景がみられた。でも親子の回りを機関銃を抱えた兵士がずらりと警護する異様な光景でもあった。オフの日に町を歩いてみた。イスラム教、キリスト教、こんな狭いエリアで戦ったのかと驚いた。私は海にむかい、考えてもわからないことを夕日がおちるまで考えた。
一週間ほどの滞在なのに沢山の友ができた。みな異国の私に壁なく手を差しのべてくれたからだ。彼らは強烈な生命力をぶつけてきてくれた…嬉しかった。朝方までおおいに踊り、飲み、笑った。でも早朝、モスクから礼拝の音が流れるころになると、彼らは突然にしてシリアスな表情となり核心を話し始める。それは中東戦争、レバノン内戦…失った家族、宗教上の離反、どれも命に関わる深刻な内容ばかりだった。いや悲惨な事実ばかりであった。今まで笑って大騒ぎしていた彼らの突然の素顔に、それぞれが失った家族をおもい、また受け止めきれず、私は混乱し涙がでた。でも翌朝にはみな可笑しなほどにリセットして笑う。きっと我々は知識ではなく直感的に民族を越えて生命力を分ちあおうとしていたのかも知れない。警察が介入してきてライブ一本やるのも大変だとゆう事も知った。でも彼らは諦めない。とにかく生き強い。
ヨーロッパ介入の歴史、多くの宗教、移民、難民、政治、軍部…複雑で混沌とする都市ベイルート。でも彼らの明日への生命力は高温だ。エネルギー返しをすべくライブは全力でやった。ライブするなんて言わなかったのに、出会ったばかりの友で会場は立ち見どころか、みな床にまでぎっしりとすわって目を輝かせていた。内線から立ち上がってゆく過程には、何年も何年も、ものすごいエネルギーが渦巻きつづけるんだ…そう身体全体が感じた。それを急に受け止めるにはものすごいエネルギーがいる。身体中のすべての扉をあけても足りないくらいだ。エネルギーをぶつけてきてくれた人達が今なお愛おしい。みな忘れない友達!!!