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両親ラブラブ時代と「赤んぼ」

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介護の弱音なんか吐かないけれど、
両親のラブラブ時代の写真を実家でみつけ、ちとしんみりした。

写真の父は25才くらい(母の10才下)やっと母を射止めた頃か?ヘラヘラしている笑。
店をでると毎晩、父は自宅に帰らずバーの外、ヤツデの木の下で寝ていたので、
母曰く「やだ変な人!」と思ったそうだ。

同棲を始めた当初、ちゃぶ台を買うお金が無かったので
ミカンの箱をちゃぶ台代わりにしていたそうだ。

空襲で全てを失った母は生きるため硬派なバーのママになった。
店を一から始めるのだから、それは大変だったそうだが、
なんとか軌道にのると、おなじく戦後ひとりぼっちになった女性を次々やとって面倒をみた。
だからお客が店の女の子の手など握ろうものなら母にひっぱたかれ出禁となったそうだ。

店での母の写真もみつけた。
恋多き女であった母。なにがあったのか?
ずいぶんメランコリックな顔をしている。

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後ろにレコードプレイヤーがみえる。
店でかけていたレコードはまだ実家にある。
クラシック、ラテン、ジャズ…spレコードってやつだ。
バーテン免許、調理師免許も取った母。
またシェイカーを振りたいと何度も言っていた母。
当時のバーテングッズはいまも実家にある。


写真のバックは店のマッチです。
知人の絵描きさんや学生さんが書いてくれたマッチ図柄から選んだのだって
ラヴラヴ写真とマッチの原画・・・一緒に保存してあった↓
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ちなみにバーのあった宇都宮は、空襲で燃えちゃった母の実家(水戸)とはほど遠い。
よくわからないけど、戦後の人生の流れってやつだとおもいます。
はじめは知人すらない土地でしたが、焼け出された若者に手を差しのべる人々が沢山いたそうです。

店の名「赤んぼ」は、ゼロから新たな人生に挑戦する母の心境だったそう。
なんせ開店当時はお下げ髪でカウンターに立っていたらしい。

戦後はそういう女性がたくさんいたのだろう。
だから母は「コロナなんてなによ」ってな頑固な顔をしている。
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人生いつだって、おぎゃー!かあ。
どなたが描いたか?この赤んぼ・・・・CDジャケにしたいくらいだよ(笑)







蜂谷真紀
はちやまき
Maki Hachiya






























by hachiyamaki_diary | 2021-07-04 17:14 | ふくちう日誌 | Trackback

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