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母が旅立ちました「みっちゃん物語」

父母の結婚式。私も母のお腹の中で出席してます。

11/19、母が旅立ちました。3月に他界した父とあちらで2度目の結婚式をあげるでしょう。

同じ年に旅立った2人⋯
結婚前に父が母にプレゼントしたとゆうオルゴール「ラビアンローズ」
ゆっくりだけど、まだ愛を歌っておりジンとした。
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戦争に全てを奪われても負けずに奮起した母の壮絶な人生の最後は、驚くほど穏やかでした。
ベトナムツアーをキャンセルしたのは残念だったけれど、
今まで生意気だったぶん、ずっと付いててあげました。
こんなにゆっくり母と過ごしたのは独立後、初めてだったかもしれない。貴重な時間でした。
12/2の告別式は父と同じく無宗教とし、私が歌って送ります。
家族がビデオを編集してくれました。初人さん色々ありがとう。

その前に心をこめライブします!
11/29(土)19:30
西荻窪CLOPCLOPにて
【ミクロマクロ】
蜂谷真紀 voice,vo,加藤崇之g
11/30(日)14:00
渋谷/公園通りクラシックスにて
【HANA🔴TORI】
蜂谷真紀 vo,田中信正p

《みっちゃん物語》

母は水戸藩武士の子孫に生まれましたが、幼少期に父親を病気で亡くし、

祖母が「近藤百貨店」とゆう万屋兼タバコ屋と下宿屋を営み、
母をふくめ7人の子供を育てました。
母は末っ子で「みっちゃん」と呼ばれていました。

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「近藤百貨店」の前で母(左)とお友達
のちに空襲で店(実家)は跡形もなく焼失。
この井戸が唯一、家の場所の手がかりだったそうです。
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高校生の母、このころ戦争が始まる。
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銀行に就職するも、制服が軍事色に...

終戦まぎわの8/2、水戸大空襲で「近藤百貨店(実家)」を全焼。
母が防空壕から出ると、水戸の街はどこがどこかも解らぬ焦土になっていたそうです。
近藤百貨店の前にあった井戸と、
飼い猫の「たま」が子猫を咥えたまま焼け死んでいるのをみて、
「ああ、ここだ・・・」と立ち尽くし、涙も出なかったそうです。
空襲の噂に、庭にたくさんコリを埋めておいたそうですが、みな爆弾で吹き飛び、
唯一残ったのは古い写真が入ったコリだったそうです。
「母さんは(母の親)死んだんだろうな・・」と、立ちつくしていると、
遠くから「みっちゃ〜〜ん!!おっかさん生きてたぞ〜〜〜!!」との声。
ふりむくと、気丈な母(近藤いさ)がバケツをかぶって呆然と立っていたそうです。

店の2階に下宿していた青年達も出征し、多くが戦場で亡くなったと聞きます。
母が恋した方も特攻隊で戦死され、
そのため、母は40近くまで独身でいたと親戚から昨日聞きました。
赤子は生まれる時を選べません。恋愛だってそうです。
戦時下に命を落とされた方々のご冥福を祈ってやみません。



近藤百貨店2階に下宿し出征された方々
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疎開時(右から2人目が母)
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疎開のあと、戦後を生き抜くため母はバーテン免許をとり、
戦争孤児となった女性たちを雇い宇都宮で硬派なバーを開店。
そこで父と出合いました。
父は母にゾッコンとなり、強烈なアタックで母をついに射止め2人は同棲。
大恋愛だったと聞きます。
結婚式の母は妊娠6カ月。私も母のお腹の中で出席しています。

母に「なぜゼロから出発できたの?」と聞いたことがある。
故郷の水戸、店をはじめた初めての街、宇都宮・・・
どこであれ、戦後は沢山の人々が手をさしのべて下さったそうです。
水戸の万年筆メーカー社長さんが資金を援助して下さり、
宇都宮の八百屋さんが「店やるならうちの倉庫、使って」に始まったと?
地元の画家がマッチのデザインをしてくれたり、
見知らぬ土地で新しくできた友や学生さんたちが力になったり⋯
たくさんの人々の善意が関わったそうだ。
その後、徐々に収入を得て、
助けてくれた方々に恩をかえし、別の場所に新しく店を作ったらしい。
みなが生きるのに必死だった戦後、実はすごく助け合っていたと・・・
全てを失ったなった者、財や土地のあるもの、作物のあるもの・・・、
分け隔てなく、だ。
土壇場のギブアンドテイク。皆が当然のように行動にでる。
それって、なんかすごい。
戦争が終わった!とゆう、未来へのエネルギーが一つになってゆく光景が目に浮かんだ。

だから母も戦争孤児を雇い、地方から流れつく孤児もやとったのだろうし、
そんなひとつひとつのエネルギーがデカイ渦巻きになり、
後の高度経済成長期に至ったのかも知れない。
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バーテン免許用の写真
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戦後メランコリックなバーテンの母
ゼロからの出発だったので店の名を「赤んぼ」にしたそう。
戦後は手を差し伸べる人々が沢山いたそうです
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お店の女性たちは戦争孤児でしたので
客が指一本さわっても母は出禁にしたそうだ。

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お店の菊ちゃん。年老いてまで母と交流が続きました。
私も何度か彼女のアパートに行った記憶あり。
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お店のミイちゃんとおにぎり食べる
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母の店で結婚前の父母が写っている唯一の写真(左の2人)
日本髪は店のミイちゃん
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母の店「赤んぼ」のマッチとラブラブな両親
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足の悪い野良犬を飼っていたそう
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野良猫と野良犬と
ミックとジャガーってゆう黒猫2匹もかっていたとか...


母は夢の多い人で、なにをやっても熱中する人でした。

芸者の市丸さんから買った三味線、日舞、着付け、人形制作⋯
晩年にはじめたラテンダンスは93才まで踊り続けました。
93歳まで踊るのは、先生方の熱意と母の努力なくして不可能だったと思います。
頑固な母が我々に気づかれぬよう「努力」していたのを、実は知っています。
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日舞の母
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芸者の市丸さんから譲りうけた三味線とバチ。
象牙のバチは芸者さん時代からのもの。指のあとが見える
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大人にみられたくて若いうちに高島田を結ってみた⋯と言っていた記憶
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高齢出産!私は帝王切開で楽に生まれるが母は出血多量で大変たったそうだ
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高齢出産ゆえ一人っ子決定っす
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宇都宮で生まれ、一カ月で川崎へ。
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幼稚園幼少のころ川崎にて。その後、仙台、大阪へ
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右より、近藤百貨店を営んでいた祖母、母、私。
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両親と私(高校生)タンポポ
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蕎麦屋で呑み。わりと最近。
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外国に行ったことがない母をハワイに連れて行った。母85歳ころ船上にて。
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晩年にラテンダンスを始めた。写真は85歳か?時任先生と。
このお衣装で棺にはいっています。向こうでも踊ってほしくて。
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川田先生と80代の母
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90歳ころの母と川田先生
93歳まで踊りました。
衣装はいつも母の親友、山口さんが縫って下さいました。
この衣装は私が継ぎます!
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家族呑み。普段は普通の人に戻る母
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危篤の報から奇跡の復活。
命は宇宙だ!ってパワーを、最後まで母は見せてくれました。
100年も頑張ったんだから思い残すことは無いのだろうと思ったら、
最後の言葉は「また踊りたい」って⋯
実にロマンチックです。夢は不滅だ。

ダンスの衣装を着せて送ります。
母さん、空の上で父さんと踊ってください。
今までありがとうございました。 




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向こうでも仲良くね❤️チャオ❤️


追伸「共演奏者のみなさまへ」
どなたか母の三味線(写真)の音を引き継いで下さる方はありませんか?
芸者さんが使っていた期間も入れると70年以上前のものですが、母が一度メンテナンスしており美しいです。


蜂谷真紀
はちやまき
Maki Hachiya
Offical Website


by hachiyamaki_diary | 2025-11-27 08:26 | ふくちう日誌 | Trackback

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by 蜂谷真紀 / Maki Hachiya